人類と肥満の歴史|“太る”ことの意味が変わった時

はじめに|なぜ今、「肥満の歴史」を振り返るのか?

現代社会では、「痩せること」が美徳であり、「太ること」が自己管理の欠如と見なされがちだ。だが本当に、それは個人の意志や努力だけで解決できる問題だろうか?

私たちの体は、数百万年の進化の中で“太るように設計された”とも言える。食べられるときに食べ、飢えに備えて蓄える。その仕組みが、飽食の時代において矛盾を生んでいる。

だからこそ今、私たちは「太ることの意味」を歴史から問い直す必要がある。


飢餓の時代|太ること=豊かさ・権力の象徴

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人類の大半の歴史は“飢餓との戦い”だった。 狩猟採集時代には、食料が得られるかどうかは運に左右され、農耕が始まっても飢饉は頻発した。

そんな時代において、「太っていること」は“食べ物に困らない人間”の証。つまり、力や富の象徴だった。

古代エジプトの壁画、ルネサンス期の宗教画や肖像画には、ふくよかな体型が理想として描かれている。 太ることは“神に近づく”ことでもあり、貴族や王族のステータスでもあった。


産業革命と食の変化|加工食品・糖質の爆発的普及

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時代は下り、18〜19世紀。 産業革命は食料供給を激変させた。大量生産された小麦や砂糖、加工食品が都市部を満たすようになる。

それは一方で、“空腹の終わり”と“新たな栄養不足”の始まりでもあった。

精製された炭水化物、砂糖、油脂が容易に手に入り、保存も効く。その利便性の裏で、私たちは「栄養」ではなく「カロリー」に支配されていった。

しかもそれらの食品は、依存性を持ち、人間の“欲求”を刺激し続ける。 太ることは、もはや努力では抗えない「構造」の一部となった。


現代|“太ってしまう社会”の中でどう生きるか

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今の私たちは、かつての「飢餓の恐怖」ではなく、「過食の罠」と戦っている。

どこでも食べられる。動かなくて済む。情報は多すぎて、選ぶことすらストレスになる。

「太るのが普通」の社会の中で、痩せ続けることは、簡単なことではない。

肥満はもはや個人の問題ではなく、時代と環境が生み出す“現象”だ。


まとめ|なぜ、いま鍛えるのか?

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トレーニングとは、進化に抗う行為かもしれない。

飽食、運動不足、ストレスに囲まれた環境の中で、あえて“自らに飢えを与える”こと。

それは、ただ痩せるためではなく、「どう生きたいか」を選び直すための意思表示でもある。

太ることの意味が変わったように、鍛えることの意味も変わってきた。

──食べすぎる社会で、鍛えるという選択。
それは“生き方”そのものだ。